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東日本大震災の対応について

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発生から15日目の3月25日(金)。日赤救護班第5班が出動しました。陸前高田市に向かう途中、不足状態のガソリンの給油に時間を要しましたが、翌日の正午頃に無事到着。すぐに救護活動に取り掛かかりました。
救護所にはレントゲン車が配置され利用可能になっていて、感冒や吐き気、便秘などの症状の方をはじめ、自宅整理中に釘が刺さったなどの外傷の方も診察しました。また医師と看護師で、自分以外の家族が津波に流され行方不明だという方の話にじっくり耳を傾け、心のケアも行いました。
時間が経過し、次第にケアの質が変化している状況での活動を終えた、5班の皆さんからの報告です。

救護班 第5班
3月25日(金) 14:00
日赤救護班第5班として9名が出動
(岩手県 陸前高田市第一中学校の救護所にて活動)
3月29日(火) 9:45
帰院
被災者の方々から話を聞きながら、東北の方は我慢強い気質で弱音はなかなか吐かないことを知っていましたが、この先本当に大丈夫なのかと不安にもなりました。それと同時にこの先、ゴールは遠いかもしれないけれど、医療チームとして、安心を提供し続けなければとも強く思いました。
今回のことで、「何か支援したい!何事も経験しなければ!」という思いで救護班に参加しました。院内業務で多忙を極める中、快く送り出してくれた高野先生をはじめ脳卒中センターのスタッフには、心から感謝しています。
(班長/医師 山手康司)
慣れない場所での調剤で、はじめのうちは手間取ることも多々あり、お待たせすることもありました。しかし、誰ひとり文句をいう人はおらず、じっと待ってていただいたのが印象的でした。
(薬剤師 谷澤範彦)
「初めのうちは命が助かってよかったと思っていたけれど、今は先が見えなくて生きているのがつらい…」と訴える方や、ご主人が慣れない手つきで奥様の代わりに幼い子の面倒を見ていたり…。そんな姿がとても目に焼き付いていて、心が締め付けられる日々でした。
(助産師 東川恵莉子)
放射線技師として、そして運転要員として現地へ向かいました。ガソリンの調達が困難な状況に陥った時、赤十字の救護服をみて、すぐに補充できる場所を親切に教えていただき、改めて赤十字の信頼感を感じました。そして現地では、これまで以上に、チームワークの大切さを強く実感しました。
またボランティアの高校生が熱心に活動しているのが印象的で、家族は大丈夫なのかと、精力的な姿にかえって心配になることもありました。
(主事 診療放射線技師 見谷邦彦)
現地、陸前高田第一中学校では炊き出し、仮設風呂の設置、中学校によるアカペラなど、老若男女を問わず様々なボランティア活動が行われていました。今や被災して辛い思いをしていながらも活動するボランティアの方々は、避難所生活に欠かせない存在なのです。まさに「人間を救うのは人間だ」を実感した瞬間でした。
(主事 野村心平)
「本人の善意を生かしてやりたい!」と思うと同時に、自分が支援する気持ちで、山手医師以下スタッフを送り出しました。山手医師不在の体制の維持するのは脳卒中センターのメンバー。そんな彼らの何とか頑張ろうとする精神力と機動力、そしてバックアップ体制の強さを誇りに感じました。
(神経内科部長 高野誠一郎)