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東日本大震災の対応について

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4月14日(木)、福井日赤救護班第9班が出動しました。石巻赤十字病院の対策本部の指示のもと、救護所と巡回の2班に分かれて診療活動を行いました。ちなみに巡回診療では、いまだ救護所のことを知らない方々へ、その存在を伝える役割も担っていました。
時間枠を超えた「診てほしい!」という切実な声に対応するとともに、積極的な巡回診療で慢性疾患の重傷化を発見し対応したという報告も数多くありました。

救護班 第9班
4月14日(木) 13:20
10名が出動
(宮城県石巻市 大須地区救護所、雄勝地区巡回診療にて活動)
4月18日(月)16:00
帰院
石巻市大須地区で出会った方々について。
ケース1:巡回中に見かけた60代男性。放心状態で、「妻が流された。病院も流された。心臓と糖尿病の薬を飲んでいたがもうない…」という小さな声を聞き取りました。診察後、要注意として担当保健師に引き継ぎました。
ケース2:仮設診療所を受診した40代男性。「家族3人が流された。今日も探しに行ったが見つからなかった。眠れないんです」と小さく震える声を聞きました。診察時に安定剤を処方すると、翌日には「昨日は眠れたけれど、今日はつらい」とのこと。38度の発熱もありましたが、薬を追加したところ熟睡できたようでした。
ケース3:体育館でお話しした70代女性達。「私は片付けるものがあるけどな、この人は何もない。全部、流された」「あんた、そんなこと言わんといて~」と笑い合っておられました。でも私は掛ける言葉も見つからず、ただただ、復興を祈らずにはいられませんでした。
(班長/医師 松倉 規)
当たり前だった生活が一瞬にして奪われたあの日から1カ月。救護所では風邪や高血圧、不眠症、そして瓦礫撤去作業中の怪我の方々の受診が目立ちました。同時に感じたのは、電気や水道の復旧が遅れているため、今後は不衛生による感染症が懸念されることでした。すべての医療機関がなくなったこの地区にとって、救護所は心強い存在に違いありません。
(薬剤師 吉村はる美)
私一人では微力でしたが、救護班員と力を合わせ“チーム医療”が実践できたように思います。ただ、震災後1カ月、慢性期に移行しつつある中で、被災者の自立を含めた救護のあり方や難しさを感じたのも事実です。復興までの長い道のり、どうか希望を持って歩めるよう願うばかりです。
(医師 山岸瑞希)
集落のお宅を一軒ずつ訪ね歩いた中で、一組のご夫婦と出会いました。震災後8日目に二人が再会できたことや、今まで助けられてきた海に大事なものを奪われてしまったことなど、いろんな話をしてくださいました。私たちはただ聴いていただけですが、お二人は「日赤さんありがとう」とおっしゃってくださいました。赤十字の救護班としての我々の使命は、まさにここにあることを強く感じた瞬間でした。
(医療情報課 川島勇一)
「あなた達は、福井赤十字病院職員900人の代表です!」という、野口院長の言葉に身が引き締まりました。
この班は、一人ひとりが己の役割を自覚して活動しながらもチーム連携が素晴らしく、チームワークの良さが誇りになるほどだと自負しています。
活動中、96歳の女性の方から5円玉を手渡されました。そして「私もこんな年。今度はいつ会えるかわからないけど、ご縁があったらね。こんな年寄りでもこの震災を乗り越えて生きている。あなた達も元気で長生きしてね」という言葉をもらいました。救援する側でありながら癒されたこの経験は、私の看護師人生の宝となりました。
(看護師長 山内幸子)